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1980(昭和55)年8月末の熊本県北部を中心とする集中豪雨災害

1.気象概況1)

8月28日から熊本地方は台風12号の間接的な影響で大気が非常に不安定な状態になっていたが、同日15時には九州北部に前線が現われ、県内全域で昼過ぎから雨が降り出した。

29日未明から前線は更に活発になり、熊本県北部、阿蘇地方、熊本市を中心に29日未明から10時頃にかけて強い雨が連続して降ったため、河川の溢水、がけ崩れ、家屋の浸水、道路の冠水等の災害が発生した。8時までの6時間雨量は岱明249mm、菊池150mm、鞍岳146mm、阿蘇黒川125mm、熊本119mm、阿蘇山127mmを観測した。続いて、29日夜から30日明け方にかけて県の中部以北で強い雨が降った。30日5時までの4時間雨量は鞍岳160mm、阿蘇黒川190mmが観測された。

31日には台風12号崩れの低気圧の影響で、阿蘇黒川で10時に時間雨量77mmを記録した。

このように前線は3日間にわたり九州北部に停滞し、降雨域も県中部以北、特に阿蘇地方に集中した。雨量は阿蘇地方を中心に600mm以上の大雨を観測したが、南部に行くに従い少なく、特に天草地方は100mm以下であった。被害は29日夜から30日未明にかけて発生し、特に30日未明の災害は熊本市を中心に大きな災害となった。

最大1時間降水量:熊本39.0mm、阿蘇山60.0mm、

最大日降水量:熊本250.0mm、阿蘇山295.0mm

総降水量:熊本334.5mm、阿蘇山596.5mm


図-1 昭和55年8月28日~31日までの総降水量2)

熊本県のテレメーターによる各地の降水量は表-1に示すように、総降水量(3日間)は5ヶ所で600mmを超えている。図-1には28日~31日までの総降水量の等降水量線をしめしており、県北部で多くなっている。

表-1 降水量28日14時~31日14時(熊本県テレメーター)1)

表-2 警戒水位を超えた河川(熊本県テレメーター、31日14時現在)1)

表-3 被害状況(熊本県警本部昭和55年9月1日現在)1)

また、8月29日から30日にかけての豪雨で、県内各河川で水位が大きく上昇し、表-2の朱書きに示すように最高水位が警戒水位を1m以上超えた河川も続出し、堤防の決壊や氾濫が相次いだ。

 

2.被害状況

表-31)に熊本県警がまとめた被害状況を示すが、死者・行方不明5人、床上・床下浸水は5000棟を超え、冠水域は1000haを超えている。山・がけ崩れは80か所を超え、鉄道の被害も豊肥線を中心に17箇所にも及んでいる。図-2に氾濫地区の分布図を示す3)

(a)阿蘇市黒川 (写真-1)

(b)熊本市竜田町白川 (びわの首)

(c)熊本市蓮台寺町白川鉄橋下流白川右岸の決壊

(d)熊本市中央街銀座橋白川右岸で越流 (国道3号線沿い) (写真-2)

(e)熊本市清水町山室坪井川宮園橋下流で堤防が決壊、清水町亀井・八景水谷で家屋浸水 (写真-3、写真-4)

(f)熊本市池田町井芹川決壊、上熊本駅から熊本工業大学付近まで浸水

(g)熊本市花園一丁目井芹川決壊、熊本市中心部全域で浸水



図-2 昭和55年㋇豪雨氾濫地区の分布図3)

(h)植木町伊知坊で浸水

(i)山鹿市熊入町、吉田川が逆流し浸水 (写真-5)

(j)植木町米塚、合志川が溢れ、米塚橋流失、

(k)菊池郡泗水町佐野、佐野橋流失、合志川・矢護川で4橋が流失


写真-1 阿蘇町三久保、北中学校付近の黒川の氾濫 (熊本県提供)


写真-2 銀座橋下流白川右岸の越流状況 (熊本河川国道事務所提供)


写真-3 坪井川の氾濫状況 (熊本市坪井、熊本県提供)


写真-4 坪井川の氾濫状況 (熊本市寺原地区、熊本県提供)


写真-5 菊池川・吉田川の合流点一帯の氾濫 (山鹿市熊入町、熊本県提供)

時間経過で被害状況を見ると次のようになる1)

29日未明までに、荒尾市菰屋、玉名郡岱明町大野下、同鍋、南関町下坂下、山鹿市熊入町、鹿本郡植木町伊知坊で家屋の浸水

29日未明から午前にかけて、井芹川、坪井川、関川等6河川が警戒水位(表-2)を突破、各地で家屋の浸水、道路の冠水、がけ崩れが発生、国道・県道7か所が全面交通止め、主要道路7本で交通規制、国鉄鹿児島本線は久留米、熊本県で不通となり、特急・急行75本、ローカル20本が運休、豊肥線、肥薩線両線は各地で大雨による鳴動装置が作動、20分から1時間遅延

29日6時頃、玉名市伊倉で鹿児島本線伊倉駅構内築堤が崩壊、架床陥没のため不通

29日6時過ぎから坪井川が溢れ、また坪井川宮園橋下流100m付近で堤防が決壊、熊本市清水亀井町、八景水谷周辺住宅で家屋が浸水(写真-3、写真-4)

29日8時頃、鹿本郡植木町味取で国道3号線の路肩が中央線から半分、長さ30mに渡って崩れ、通行止め(写真-6)

29日11時頃、飽託郡北部町でがけ崩れのため民家が全壊、1名が重傷

29日22時過ぎ、上益城郡矢部町御所小迫でがけ崩れのため住宅が押し流され、2名が行方不明

30日3時15分頃飽託郡北部町庄屋敷で、がけ崩れで民家を押し流し、1名死亡(写真-7)

30日3時45分菊池郡大津町水源で、がけ崩れのため家屋が全壊、1名死亡、1名重傷

30日4時頃井芹川が決壊、上熊本駅から工大橋付近まで浸水、駅周辺、花園1丁目、段山本町、上熊本、島崎、花園一帯で床上床下浸水

30日明け方から吉田川が逆流し、山鹿市熊入町の中心部で約150戸が床上床下浸水(写真-5)

30日6時頃、鹿本郡植木町で合志川が溢れ、米塚橋流失、温泉街で床上まで浸水

同時刻、菊池郡泗水町佐野で佐野橋(木橋)が流失したのをはじめ、合志川、矢護川に架かる4つの橋が相次いで流失

同時刻、阿蘇町で黒川が増水、町中心部の用水路などが溢れ、約500戸が床上床下浸水(写真-1)、南郷谷の白水村の烏帽子岳の斜面崩壊(写真-8)やその崩壊土砂によって、長陽村長野の山王谷川では土石流(写真-9)も発生した。

同時刻、鹿本郡菊鹿町で、増水した山内川に転落し、1名が行方不明

30日6時30分頃 井芹川堤防が花園1丁目で再び決壊し、熊本市内清水亀井町、清水山室、坪井町、蓮台寺など低地帯をはじめ、二本木町、花園町など市の中心部全域に渡って床上床下浸水した。

30日 白川水系では、未明に二本木橋下流付近で堤防が決壊、7時前竜田町白川びわの首で決壊、8時前白川鉄橋上流が15mに渡って決壊、旧3号線をはじめ、銀座橋、泰平橋周辺で長さ48mに渡って越水し(写真-2)、国道3号線に水が溢れ、約3500戸が床上床下浸水

30日10時現在、九州自動車道、国道3号、57号(写真-10、写真-11)、265号(写真-12)、208号、また県道14本ががけ崩れ、道路冠水のため、災害地付近で通行止め、また熊本市周辺では市内に向かう道路は冠水のため、いたる所で通行不能となり、車が冠水地帯にぶつかり、幹線道路はどこも数キロにわたり渋滞。国鉄鹿児島本線は熊本以北で不通、豊肥線(図-3、写真-13)、高森両線も始発から全面運休


図-3 豊肥線の被災箇所図4)

 


写真-6 植木町味取 国道3号線路肩の崩壊5)

写真-7 北部町庄屋敷斜面崩壊

写真-8 烏帽子岳南側(白水村)の斜面崩壊5)

写真-9 長陽村長野山王谷川の土石流5)

写真-10 菊池郡大津町瀬田・国道57号斜面崩壊で流出した巨石5)

写真-11 阿蘇郡一の宮町坂梨・国道57号滝室坂の斜面崩壊

写真-12 阿蘇郡一の宮町梨・国道265号箱石峠の斜面崩壊5)

写真-13 阿蘇郡一の宮町坂梨・豊肥線(58.87km)線路流失(盛土)

 

3.特徴的な斜面崩壊事例(飽託郡北部町庄屋敷)

北部町(現熊本市北区下硯川町)で発生した斜面崩壊(写真-7)は植木台地と呼ばれ、上部が田畑(写真-14)で、斜面は竹林が繁茂し、斜面下部に集落があった。地質はAso-4火砕流堆積物で非溶結部が風化した灰土と呼ばれているもので、斜面勾配は30度前後(写真-15)で含水比が高く、液性指数が1に近く、乱されると簡単に流動化する。そのような斜面で上部が田畑で集水しやすいため、豪雨時に斜面崩壊を起こしやすい。庄屋敷の崩壊は住家と倉庫が被災し、死者1名。図-4に位置図(赤丸)を示す。


図-4 北部町庄屋敷の斜面崩壊箇所


写真-14 崩壊斜面の上部は平坦な田畑


写真-15 土質は灰土と呼ばれるAso-4火砕流堆積物(非溶結部の風化土)

参考文献

1)熊本地方気象台、災害時自然現象報告書1980年第2号、昭和55年㋇28日から31日にかけての低気圧と前線による九州北部および山口県地方の大雨、昭和55年9月8日

2)熊本県、昭和55年8月28日から31日までの豪雨災害に関する要望書

3)寺本保晴:昭和55年㋇豪雨による熊本県北部の河川災害に関する研究、熊本大学工学部土木工学科昭和55年度卒業研究、

4)山下正二、昭和55年8月集中豪雨による斜面崩壊調査、熊本大学工学部土木工学科昭和55年度卒業研究

5)熊本県提供写真