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1990(平成2)年7月の豪雨災害

1.まえがき
 平成2年7月豪雨は平成2年6月28日から7月3日にかけて長崎県北部から大分県東部にかけて、大雨を降らせた。7月1日、九州南部に停滞していた梅雨前線が北上して活発化した。一方、東シナ海の低気圧も北部九州に接近したため、この地域で大きな災害をもたらした。山地・丘陵地では山・崖崩れ及び多量の流木を含む土石流が多発、山間の谷地形や平地では土砂と流木の多い洪水によって至る処で災害が発生した。災害による被害は、熊本、大分、福岡、佐賀、長崎の5県で著しく、5県を中心とする西日本の被害は死者27名、負傷者101名、家屋全壊219棟、半壊277棟、床上浸水9967棟、床下浸水35040棟、山・崖崩れ3078箇所、被害総額は2980億円に達した1)。

2.気象概況
 7月2日は、低気圧が前線上を東進し、9時には対馬海峡付近に達した。このため、梅雨前線の活動が非常に活発となって、九州北部地方全域で大雨が降った。日降水量は嬉野で366mm、大牟田で299mm、阿蘇乙姫で448mm、鹿北で395mm、鞍岳で357mm、建設省竹田雨量観測所で307mmなどであった2)。7月2日の降水量の分布は図-1に示すように佐世保、嬉野、大牟田、阿蘇乙姫を結ぶ西北西-東南東に伸びる帯状の地域に日降水量の大きな領域が現われた。この帯状の領域に中小規模の擾乱が逐次発生したものと考えられる1)。
 梅雨前線による雨のもう一つの特徴は6月28日からの日降水量のパターンである。すなわち、6月28日から4日間の先行降雨があった後に7月2日の集中豪雨があった(図-2)。4日間の先行降雨は179mmから229mmであり、かなり大きな値であった。この先行降雨は崩壊・土石流の発生や、河川の急激な流出に何らかの役割を果たしたものと考えられる1)。
 熊本県では県北部及び阿蘇地方を中心として、7月1日の深夜から集中豪雨に見舞われた。この雨は7月2日の夕方迄降り続いた(図-3)。阿蘇乙姫で7月2日の午前9時に57mm、10時に67mm、11時に65mmと、3時間で189mmの豪雨が観測された。このとき一の宮町では1時間雨量が71mmにも達し、7月1日から2日までの連続雨量も620mmに達する大雨となった3)。

図-1 平成2年7月2日の九州地方の日降水量の分布

図-2 平成2年6-7月の降水量(阿蘇乙姫)
図-3 平成2年7月2日の降水量(阿蘇乙姫)

3.災害の概要
3.1.集中豪雨による被災域
 平成2年7月の集中豪雨の被災域は、阿蘇北外輪に源を持ち、有明海に注ぐ菊池川流域、阿蘇カルデラ内にあり、根子岳北斜面に源を発する古恵川(黒川上流部)の全流域、それに隣接する東外輪カルデラ内側斜面、および阿蘇北外輪に源を発し、大分県竹田市で大野川に注ぐ玉来川上流域(産山村)であった4)。
 被災域の斜面崩壊は火山地盤地域の阿蘇地方で特に著しかった。山腹の斜面崩壊により、崩壊土砂とそれに伴う倒木が大量に渓流に流れ込み土石流となり、それが流下過程でさらに多くの渓流を浸食し、浸食土砂や立木を巻き込み、中・下流域の被害を著しく増幅した点が被害の特色として挙げられる4)。

3.2阿蘇カルデラ内部の災害
 この豪雨によって一の宮町では7月2日午前9時過ぎに黒川上流の根子岳・高岳の山腹で土石流が発生し、古恵川に流れ込み大量の流木とともに下流の坂梨地区などに押し寄せた3)。とくに根子岳北側斜面の崩壊土砂は斜面森林を巻き込み大量の流水と共に渓流を流下、その際河床・河岸を浸食し、そこにあった植林されていた杉・桧をも巻き込んで、大量の流木を含む土石流となって古恵川を流下した。大部分の巨礫と一部の流木は多数の治山ダム、砂防ダム及び幅の広い緩斜面に堆積した。しかし、大量の土砂と流木は引き続き流下しつつ、河岸を浸食し、河岸の立木、土砂礫を巻き込み流木の多い土石流あるいは砂泥流となって一の宮町の坂梨、宮地の市街地を襲った。この市街地では2本の河積の小さい水路に架かる国道57号の橋梁が流木で閉塞され、土石流・土砂流は越流して、住宅を破壊、道路、農地に流下、堆積して被害を拡大した(写真-1)。また、東外輪から北外輪、西外輪にかけて、カルデラ内側で多数の崩壊が発生し(写真-2)、崩壊により生じた移動土塊は崩壊源の土砂・立木と共に、流送域の斜面下方の立木と表層土を浸食しつつ流動体となってカルデラ壁下方の緩斜面上に発達する集落を襲った(写真-3)。カルデラ内北部に広がる低平地(阿蘇谷)では、その約1/2において黒川が氾濫し、阿蘇町内牧地区、小倉地区、跡ケ瀬地区などで床上・床下浸水1667戸、農地埋没・冠水約1300haの被害を生じた。これらの被害は昭和28年の豪雨災害をしのぐものであった。なお、カルデラ内の南側低地にあたる白川上流域の南郷谷では降水量も少なく、道路を除き被害は著しくなかった1)。

写真-1 古恵川に架かる松原橋で氾濫した土石流で被災した家屋
写真-2 東外輪カルデラ壁の斜面崩壊(熊本県提供)
写真-3 東外輪カルデラ壁の斜面崩壊で土石流が発生家屋・田畑が被災(熊本県提供)

4.土砂災害
4.1根子岳・高岳の斜面崩壊・土石流
 古恵川は根子岳に源を発し、途中根子岳の北側山腹と高岳北東部山腹および妻子ケ鼻以南の東外輪カルデラ内壁斜面より発する支流を集めて一の宮町坂梨地区に流下する通常は水無川である。根子岳の山頂部付近(写真-4)はほぼ垂直な崖と風化剝離した岩片が長期間に谷筋に集まり厚い崖錐堆積物層を生じている5)。中腹斜面は表層が火山灰土層に覆われた草地となっている部分が多い。高岳北東斜面は鷲ヶ峰火山の噴出物からなっているが、表層は火山灰土層で大きな木は存在せず草地となっている(写真-5)。妻子ケ鼻から箱石峠の東外輪カルデラ内壁斜面(写真-6)は火砕流堆積物の上の表層である火山灰土層が根子岳や高岳よりやや厚く、ここもやはり牧草地となっている。古恵川は通常、水無川であることから流域の保水能力は小さいことが分かる。また草地は自然草地であっても森林の50%程度の浸透能である6)ことから、集中豪雨時には健全な森林の数倍もの洪水流出が予想され、谷筋の崖錐堆積物は流出し易く牧草地斜面は集中豪雨時の表面流によって表面が浸食され易く根子岳北側斜面では山腹部、山麓部でも崩壊が多発した4)。
 根子岳山頂部では谷筋の崖錐堆積物層が集中豪雨により崩壊した。山腹崩壊の発生源となっている中腹以上の山腹の急峻斜面は、表層(溶岩風化土および火山灰土層)の厚さが1m未満と極めて薄く、ほとんど矮性の雑木林が分布しており、多くの表層崩壊が見られる4)。このため、約200基の治山ダムが入っていたが、大部分は満砂となり、一部が破壊され、土砂礫・流木は土石流の状態となって山麓部を流れる古恵川の上流部を流下した(写真-7)。高岳北東斜面の急斜面にはおびただしい数の面積の広い崩壊斜面が認められる(写真-5)。しかし、大部分は以前の崩壊斜面(昭和28年、昭和55年の災害等)の拡大崩壊が多数含まれている1)。また高岳の急斜面には植林がされておらず、斜面崩壊時に杉などの立木が巻き込まれることがなかった。この部分での土石流は緩斜面での堆積と側方浸食とを併行(写真-8、9、10)し、一部の砂防ダムを破壊、ないしは袖部を浸食、迂回して流下、JR豊肥本線の鉄橋を押し流しさらに下流へ流下した。山腹・山麓部に発生した斜面崩壊の大部分は黒ぼく層(黒色火山灰土層)が崩壊したもので赤ぼく層(褐色火山灰土層)の崩壊がほとんど見られない。
 根子岳中腹と高岳北東斜面は、豪雨のたびに生じていた無数の表層剥離型崩壊が今回の豪雨でさらに拡大している。また、妻子ケ鼻から箱石峠にかけての東外輪カルデラ内側斜面(写真-6)は、急斜面でも草地となっており、崩壊深さはやはり浅く50cm~100cmの黒ぼくからなる軟らかい表層土とその下位の比較的固い赤ぼく層の境界で崩壊する表層剥離型で、その深さは草根の発達深さとほぼ一致している。崩壊斜面の傾斜角は40°前後の急傾斜である4)。

写真-4 根子岳北側斜面の斜面崩壊
写真-5 高岳北側斜面の斜面崩壊
写真-6 国道265号箱石峠付近の斜面崩壊、崩壊土砂は古恵川に流入
写真-7 根子岳の崩壊土砂は土石流となって古恵川を流下(日ノ尾峠登山口付近)

写真-8 根子岳・高岳の崩壊土砂は土石流となって古恵川を流下し、林道桜が水線を破壊し、岩塊や流木が堆積
写真-9 古恵川に流れ込んだ土石流は渓岸を大きく浸食し、さらに大量の土石流となって古恵川を流下
写真-10 土石流は渓岸を大きく浸食、過去の土石流痕跡とみられる転石層と土砂が互層になっている

4.2阿蘇カルデラ壁上部の斜面崩壊・土石流
 東外輪カルデラ内側斜面の地質は下部に先阿蘇火山岩あり、その上にカルデラ生成時の火砕流堆積物、さらにその上に火山灰土層が堆積している。火砕流堆積物はいずれも柱状節理と板状節理の発達が顕著である。その崖は急峻でかつ鋭く切れ込んだ小さい谷が多くみられる。分水嶺がカルデラ壁頭部よりも外側の高原内にあって、高原からの水を集めて、谷に沿って崖を流下している状況となっている5)。植生は頭部では牧草地が多く、部分的に杉が植林されているが、その生育はよくない。斜面裾部では崖錐層が厚く杉が植林され、その生育も良好である4)。坂梨地区南方の妻子ヶ鼻、東方の神石付近などのカルデラ、カルデラ壁上部の急傾斜斜面(30°~40°)でも多数の崩壊が発生し(写真-2,3)、カルデラ壁の崖部を落下・流下して、JR豊肥本線(写真-11、12)や家屋に被害を与えた1)。この区域の崩壊形態は、頭部の比較的急勾配の多数の斜面で厚さ1m以内の黒ぼく層の表層崩壊が発生し、それらの崩壊土砂と倒木が谷部に集まり、急峻なカルデラ壁を流下し、裾部(崖錐堆積物層)の植林の立木を巻き込んだため崩壊が拡大している。さらにカルデラ上部の未溶結凝灰岩や火山灰土層の斜面崩壊が亀裂の多い溶岩を巻き込んだ崩壊も見られる。この地域は昭和55年8月末の豪雨でも類似の崩壊が多数発生している4)。
 北外輪カルデラ内壁斜面の地質はほとんどが火砕流堆積物で崖面頭部では内面に向かって傾斜した基岩構造があり、凹斜面では東外輪カルデラ内側斜面よりも供給される水の量が多く、厚い土壌で広く杉林に覆われている箇所が多い。崩壊形態は地下水の噴出により崩壊頭部がほとんどASO-2火砕流堆積物の風化物から起こり流動性の大きな崩壊が発生し、その下のASO-1火砕流堆積物の垂直崖の崖錐堆積物を巻き込み、崩土が流下途中で下方の表土や立木を巻き込んで崩壊規模を拡大している4)。この尾篭地区では斜面崩壊で5棟が全壊し、3名が亡くなった。崩壊源は傾斜38°幅12m、斜面長17mで崩壊深は2~3mで根子岳北側斜面に多発した崩壊に較べてかなり深く、崩積土層とその上に載る黒ぼく層と植林された杉である。尾篭地区の被災しなかった住宅も、被災場所の周辺の複数の崖錐堆積物層上に立っており、土砂災害のポテンシャルの高い場所である(写真-13)1)。

写真-11 JR豊肥本線、カルデラ壁の崩壊による土石流(平保の木川上流)で線路が流出
写真-12 JR豊肥線、カルデラ壁の崩壊による土石流(豆札川上流)で盛土・線路が流出
写真-13 北外輪カルデラの一の宮町西手野尾篭地区の斜面崩壊

4.3阿蘇カルデラ東外輪の玉来川流域
 阿蘇外輪の外側はカルデラ形成時に噴出した大量の火砕流が、溶結凝灰岩となって厚く覆っている。その後、数万年の間に開析が進んで、水系に沿う部分では帯状に深い谷が形成され、さらにその後堆積した火山灰土によって厚く覆われている6)。この地区の地質は最下部にASO-2火砕流堆積物、しらす層(久住軽石流堆積物Ⅰ)、ASO-3火砕流堆積物、最上部に火山灰土が堆積している(写真-14)。玉来川とその支流の大利川とヘラ谷川の川底はいずれも溶結度の高いASO-2火砕流堆積物である。玉来川左岸では阿蘇火砕流堆積物に挟まれたしらす層」が厚く(約30m)堆積している4)。
 玉来川流域では昭和28年の災害を上回る著しい災害に見舞われた。玉来川は竹田市内で大野川に合流する。大野川流域全体は竹田市付近を要とする扇形状に西方へ延びた支川群からなる。玉来川流域の上流部産山村、波野村一帯は緩傾斜の火砕流台地を残す多数の狭長な台地と川の開析作用による渓岸急斜面で特徴づけられる。この地域の斜面崩壊は玉来川本流に面した斜面においてもかなりの数の崩壊が発生いているが、支流の大利川(写真-15)とヘラ谷川(写真-16)に面した斜面の崩壊が著しい。斜面崩壊は開析斜面を覆うしらす層とその上の火山灰土層と溶結凝灰岩の風化層で起きている。そのため、この地域の崩壊は崩壊深さも比較的深いものが多く認められた。このように崩壊土層が厚く、しらす層で崩壊した場合(写真-17)には、降雨強度のピーク時よりやや遅れて崩壊している例があった。また、しらす層が崩壊後、その上に存在していたASO-3火砕流堆積物が落下した形態と、大利川、ヘラ谷川両岸斜面に多く見られる斜面上部の火山灰土層や未溶結凝灰岩の風化土が崩壊し、下部のしらす層や溶結凝灰岩を巻き込んだ崩壊形態も見られる。未溶結凝灰岩の風化土の崩壊が多かったヘラ谷川の斜面崩壊はASO-3としらす層で崩壊が起きている。根茎の多い表層から雨水がASO-3の火砕流堆積物層に浸透し、しらす層との境界付近の砂礫の多い部分でパイピングを起こし、崩壊を起こしている。今回の雨で産山村などでは斜面崩壊が多発した4)。この地域および下流側の竹田市の西部に降った雨は、竹田市付近に集まり、大野川の大きな支川玉来川は竹田市街地西部を通って大野川本川に合流し、稲葉川は竹田市街地中心部を通って市街地の下流部で合流するため竹田市の市街地で氾濫し大洪水となった。

写真-14 東外輪外側(産山村ヘラ谷川)の崩壊斜面、下部の溶結凝灰岩と上部の厚く堆積した火山灰
写真-15 産山村大利の崩壊斜面、下部の溶結凝灰岩と上部の厚く堆積した火山灰土層
写真-16 ヘラ谷川の川底ASO-2火砕流堆積物
写真-17 産山村玉来川のしらす層の斜面崩壊

4.4 菊池川流域の斜面崩壊
 菊池川上流地域の地質は泥質片岩、砂質片岩と緑色片岩からなる三群変成岩が主体であり、一部これを貫入した花崗岩類からなる。菊水町では花崗岩の風化したまさ土が厚く堆積しており、水の集まりやすい斜面では表面浸食が少なくない4)。
菊池川流域の斜面崩壊の代表的なものは菊水町の斜面崩壊で、花崗岩を基岩とし、まさ土が風化土層となっている斜面が多く、日常の雨による表面浸食が著しく、今回の集中豪雨では地形的に水が集まりやすい斜面で各所に2~3m程度のやや深い風化土層での崩壊が発生した(写真-18)。植生を見ても崩壊地の両端には竹や杉がよく生育している。また、崩壊地の左側の人家では日常の生活水は背後の山裾からの湧水に頼っていた。これらの事実から、地下水位も比較的高かったことが明らかで、この崩壊は最大時間降雨発生後8時間後に発生しており、降雨のピークよりかなり遅れている4)。
 菊水町内田の崩壊斜面の滑落崖の未崩壊部分はコーン指数が平均50kN/m2、崩土部分は10kN/m2と崩土の強度が小さく、この斜面の湧水が生活用水として利用されていたことを考えると水が集まりやすく、水分の多い地盤であり、総雨量650mmという豪雨によって大きな崩壊に至ったと考えられる4)。

写真-18 菊池郡菊水町のまさ土斜面の崩壊

5.水害
5.1 水害の概要
 豪雨域は白川、菊池川、大野川上流域に当たり、山間部の中小河川が氾濫し、県全体の被害は家屋全半壊など546棟、河川の被害2927箇所に達した。白川流域では既往の昭和28年6月大水害に匹敵する総雨量、短時間雨量が白川上流部に降り、黒川流域の小河川及び黒川本川が氾濫した。阿蘇町では町の1/3の世帯が浸水するなど、広い面積が長時間にわたり浸水した。菊池川流域では、河川が氾濫し、約4900haが浸水し、河道の護岸被害も約10kmに及んだ。被災した市町村は山鹿市、三加和町、菊池市、玉名市に及んだ。産山村では大野川上流の玉来川が氾濫し農地を流失埋没させ、村内を流れる各河川が氾濫し、道路、水路も被災した。死者1名、重軽傷者6名、家屋の全・半壊33棟、床上浸水31棟、床下浸水19棟の被害が出た1)。

5.2 白川流域の氾濫
 白川流域の7月2日の日雨量は阿蘇谷の上流部の黒川流域で380~400mm、南郷谷の白川上流部で270~300mm、中流から下流にかけて200~300mmと主として黒川流域が豪雨域となった。先行降雨(7月1日までに220~
250mm)の後に降った総雨量、短時間雨量がともに大きく、しかも徐々に強度を増し、最後に大きな強度の雨が降るという、洪水流出量の多くなりやすい降雨パターンの雨が黒川流域に大災害をもたらした。一方、阿蘇中央火口丘南側・南郷谷の高森では阿蘇谷の半分位の雨量であった。このように今回は豪雨域が黒川流域に限られていた点が昭和28年の大水害時と大きく異なる。白川中流部の菊陽町付近では溢水があったが小規模の氾濫で済んだ。下流部の熊本市内の代継橋では、午前10過ぎには警戒水位3.7mを越え、13時30分には最高水位5.79mに達した。熊本市内では13箇所から溢水したが大規模な氾濫には至らなかった1)。
5.2.1 一の宮町の氾濫
 一の宮町の市街地は阿蘇山中央火口丘から運ばれた土砂によって造られた緩やかな傾斜を持つ扇状地堆積物の上に立地している。そのため、潜在的に阿蘇中央火口丘からの土砂を含む洪水流の氾濫危険地帯と言える。いったん河道から溢れた氾濫流は勾配のある緩斜面上を広がりやすく水勢が強く流れやすい。今回氾濫した古恵川は過去に何度も氾濫している。一の宮町では古恵川、東岳川、宮川、大門川等の小河川から洪水が起き、各地で氾濫した。7月2日は未明から12時頃まで降雨強度を増しながら降り続いた(図-3)。そして、8時から9時の降雨強度は42mm/hrを記録した。その直後に町中で一斉に浸水が始まった。小河川が降雨に対応して非常に早く出水し氾濫を始めた。これは、河川が急勾配で流域面積も小さく、洪水到達時間が短いためと考えられる。9時過ぎに始まった中小河川の氾濫は更に雨は強度を増し時間雨量が71mm、64mm、53mmと降り、浸水が広い範囲に広がった。その中で、古恵川の被害が最も大きく、特に国道57号と交差する松原橋地点での氾濫が多くの家屋被害、死者、水田の土砂埋没被害を出した。松原橋の通水断面が流木と土砂で完全に閉塞され、ここから洪水流が左右両岸へ氾濫し、住宅地を通り抜け、水田地帯へ流れ込んだ(写真-19)。また、東岳川も氾濫し、浸水被害が生じた。東岳川のJR豊肥本線鉄橋では、流木が橋脚に懸かり氾濫。しかし、市街地付近では大きな被害にならなかったのは、河道が広く市街地まで流れ下った流木の量が少なかったことが考えられる(写真-20)。これらの氾濫は平日の昼間に起き、災害時、小・中学生は学校におり、死者11名は高齢者が多く、子供や幼児は含まれていなかった1)。

写真-19 一の宮町宮地の古恵川の氾濫で田畑に土砂・流木が堆積
写真-20 一の宮町宮地の東岳川の状況

5.2.2阿蘇町の氾濫
 阿蘇町では黒川が氾濫した。黒川は阿蘇中央火口丘北側斜面やカルデラ壁部から急勾配の小河川が流入するとともに碁盤の目のように張り巡らされた農業用水路が流入している。しかし、黒川は洪水が吐けにくい地形となっており、水位が上昇しやすくなっている。それは黒川の河道勾配が緩く蛇行し、さらに黒川下流部の白川との合流点の上流約3kmの区間では渓谷続きの狭窄部となっているためである。このように水害を受けやすい地形条件を持っているため、阿蘇町では昭和28年の大水害時に大被害を受け、その後も大小併せて11回の浸水被害を被っている。黒川本川沿いはほとんど全域で浸水し、さらに西岳川、乙姫川、黒戸川、花原川、湯ノ浦川、宮原川等の支川と黒川との合流点で内水氾濫が起きた。橋の流失、護岸の決壊の河道の構造物は被害を受けているが、氾濫流による家屋の破壊、人命の損失はなかった1)。

5.3 玉来川・稲葉川の氾濫
 大分県では熊本県境で豪雨となり、豪雨域は大野川上流の左支川の玉来川と稲葉川流域を覆い、熊本県側の産山村田尻では7月2日の日雨量455mm、一の宮町波野では379mmを記録し、時間雨量も58~78mmと大きかった。雨は明け方から強くなり、8時頃から激しくなり、13時頃まで続いた。最大時間雨量は50mmを越え、30mm/hr以上の大きな雨量強度が4~5時間降り続いた。このように100~170mmの先行降雨の後へ、総雨量、短時間雨量ともに大きい豪雨が降り、斜面崩壊(写真-14,写真-17)や土石流、洪水が発生した。
竹田市付近の谷底平野では玉来川・稲葉川が氾濫(写真-21)し、流木を含む水勢の強い氾濫により、大きな物的損害が出た。市街地の浸水深は3~4mにおよび、家屋の流失は市街地に集中した。死者1名、全・半壊の住家120棟、非住家81棟、床上浸水259棟に及んだ。氾濫流の水勢は強く、しかも流木を含んでいたため、家屋の破壊だけでなく、護岸や道路の決壊(写真-22)、橋梁の破損や流失等が生じた。JR豊肥線の鉄橋も玉来川常盤橋下流側で流された(写真-23) 1)。

写真-21 産山村・玉来川の氾濫で河道が変わった
写真-22 竹田市・玉来川の氾濫、橋梁に流木
写真-23 竹田市・玉来川の氾濫でJR豊肥線の線路が流された

参考文献
1) 防災科学研究所、1990(平成2)年7月豪雨による九州地方の洪水・土砂災害調査報告、主要災害調査第31号、平成3年3月
2) 福岡管区気象台、災害気象速報 平成2年6月28日から7月3日にかけての梅雨前線による九州北部地方を中心とする大雨
3) Aso Pedia  阿蘇のオンライン百科事典)
4) 北園・荒牧・村田、集中豪雨時の斜面崩壊に対する火山地盤環境の影響、第1回熊本自然災害研究会研究発表会要旨集 pp.17-28、平成4年11月
5) 松本征夫・松本幡郎、阿蘇火山、東海大学出版、1985
6) 竹下啓司、土石流に関する調査研究、1990年7月九州中北部豪雨による災害の調査研究、重点領域研究「自然災害」総合研究班、pp.70-83、平成3年3月